平成、令和の時代になって、コンプライアンスに違反するような出来事をよく見かけます。パワハラ、セクハラに始まり、組織内で内部統制されておらず、個人が違反していることも分からず、事件になっています。私が現役で働いていた時は、全社員に対して、WEB上でコンプライアンスに関する研修を年に1回は実施していました。社員がパワハラを受けたと感じた時に訴える部署も作られていました。
ある日、同じ部の同期の管理者(課長)がパワハラで訴えられる事件が発覚しました。個人に注意する、叱るなどを行う時に、課長席に前に立たせて、他の社員がいるなかで叱責してたのです。その結果、叱責された社員はうつ病を発症し、しばらく会社に出社できない状態に陥ったのです。しかし、管理者本人はパワハラをやったという意識はなく、社員を指導するために叱っただけ。相手がどう傷ついたのかを想像もしていないのです。
一度、そういうことが発生すると、対処としては、その社員を異動させてストレッサーから解放するようなことになります。いくら時間が経過しても、その時に叱責された言葉を忘れることはありません。体の傷は時間がたてば回復するけど、心の傷は忘れることができないのです。
私自身も昭和の時代は、よく上司に人前で叱責を受けたことを覚えています。あるソフト障害が発生し、会社に泊まって徹夜をして原因を究明していました。翌朝、課長が出社して来たら、いきなりそばに来て、何故、泊まり込んでまで仕事をしたのか、誰の許可を取って仕事を続けたのかと激怒されました。そこまでして答えは出たのか!と、言われた時に、私はバグは発見し、今日の緊急の審議会で報告します、と言い返すのが精一杯の反論でした。一緒に泊まって調査していた同僚が、よく我慢したねと言ってくれたことが救いでした。
やがて私も管理者に昇格する機会があり、部下を持つ立場になりました。仕事をしていると様々な場面で社員の意識や考え方を修正してもらわないとまずいことが起きます。そういった時は、会議室で面談を行い、まずは、社員の行動がどういう感情で行ったのかを聴き、次に私の期待している行動を丁寧に説明するようにしていました。言葉は、人が苦しんでいる時に助けになることもあれば、誹謗中傷するような言葉は、相手の心に刺さってしまいます。人とのコミュニケーションで誰にも傷つけないように話すことは難しいと思いますが、言葉で相手を傷つけないように心がけることが大切だと考えています。


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