「福分」という言葉がある。幸運に同じ、と辞書
にはあるが、すこし感触が違うらしい。作家幸田
文、女優沢村貞子お二人の福分談義が岩波現代文
庫『幸田文対話』にある。
沢村<私の母なんか。一升升に一升五合は入らな
いよっていいました>。
幸田<私の場合、九尺梯子は九尺だけって言われ
ましたよ>。
一升なら一升の、九尺なら九尺の、授かった運に
感謝して精一杯生きるのだが、身の程を心得て背
伸びはしない。それが福分のようである。
福分の心に国境はないと、その絵を眺めて思う。
ミレー『晩鐘』である。国立新美術館(東京・六
本木)の『オルセー美術館展-印象派の誕生』に
展示されている。収穫したジャガイモと農具の傍
らで手を合わせる妻。帽子を手にこうべ垂れる夫。
ささやかではあれ、授かった福分を今日1日まっ
とうできたことへの感謝だろう。ひがみと愚痴で
その日その日を締めくくることの多い身に、その
夕日はほろ苦い。
<愛1つ胸に灯と成し祈りゐる農婦ミレーの「晩
鐘」仰ぐ>(亀山桃子)訪れたこともない異国の
風景なのに、なぜだか妙に懐かしい絵である。
身の程を心得る
心

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