自分にとってその意味が未知のものである言葉
を「なんだかよくわからない」ままに受け止め、
いずれその言葉の意味が理解できるような成熟
の段階に自分が到達することを待望する。
そのような生成的プロセスに身を投じることが
できる者だけが「学ぶ」ことができます。
ですから、一度学ぶとは何かを知った人間は、そ
れから後はいくらでも、どんな領域のことでも学
ぶことができます。
というのは、学ぶことの本質は知識や技術にある
のではなく、学び方のうちにあるからです。
ソクラテスは『メノン』の中で「問題のパラドク
ス」ということを語っています。
僕たちは問題を立ててそれに答えるという作業
を繰り返しています。けれども、「問題」という
のは、よく考えると、実はそれ自体が逆説的なも
のです。
学び方を学ぶ
心

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