自分を受け入れる

歴史

 お釈迦様もイエス様も孔子様も結局は同じこと
を考えていたと思います。
 お釈迦様は「天上天下唯我独尊」と言いました。
自分一人が尊いのではなく、この世界にたった一
人の自分だからこそ尊い。
66億もひとが居るのにどこを探してもあなたは
あなたしかいないんですから。
「大日経」というお経には「悟りとはありのまま
の自分を知ること」とあります。「理趣径」には、
異性と抱き合いたいというなどの煩悩も全て清浄、
だから煩悩をもっているあなたも清浄であり尊い、
と説いています。秋の夜長に鳴く虫の声、クジャ
クの羽の美しさ、雪原に舞う鶴の舞。これはすべ
て異性を惹きつけるため。煩悩でさえも美しいの
です。
 イエス様は「隣人を愛せよ」と言いました。
でもこの前に「自分と同じように」という言葉が
あるのです。「まず、自分を愛せよ」と。
 孔子様は「知らずしていきどおらず、また君子
ならずや」といっています。「世間が自分を認め
てくれないってクサるなよ、オンリーワンとなる
よう精進しようや(佐久脇先生の訳より)」この
場合の「君子」というのは、人格者・人の先頭に
立って人を導く者・手本となるものといった意味
よりも「ナンバーワンになるよりオンリーワンを
目指せ」に近いんだそうです。結局、この3人の
聖者が伝えたかったことは、自分を肯定すること。
自分にYESということだと思うんです。「世界
でたった一人の尊い存在」このように自分を肯定
し、受け入れること。お釈迦様も、イエス様も、
孔子様も一番言いたかったことは、多分このこと
です。「愛」それは「心」を「受」け入れると書
きます。自分の心を受け入れ、自分を大切に出来
る人だけが相手を大切にできる。
 弱い自分も、ダメな自分も「このままでいい」
とまず受け入れることが、すべての出発点です。
すると、あなた本来の個性が光り始めるのです。
あなたのあるがままが光りはじめるのです。花は
花のままで美しいように。あなたはあなたのまま
でいい。それでいいんだ。これでいいのだ。

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